私が人生を取り戻すまで。
- 7月21日
- 読了時間: 7分

今日のお話は、
離婚のお話ではありません。
私が、もう一度
自分の人生を取り戻すまでのお話です。
離婚して8年。
50歳になった今だからこそ、
話せることがあります。
少し長いですが、
読んでいただけたら嬉しいです。
私は8年前、
上の子が小学2年生、
下の子が年長さんの時に離婚しました。
離婚の理由を一言で言うと、
元旦那を好きではなくなった。
男性としても、
一人の人としても、
尊敬できなくなった。
そして、
もう、このまま一緒に暮らすのは無理。
そう思ったからです。
出会いは、高校1年生の時。
彼は一つ上の先輩でした。
中学生の時に大好きだった人に失恋したばかりの私は、
言い方は悪いけれど、
寂しさを埋める相手を探していたのだと思います。
そこからの腐れ縁。
私は19歳から化粧品の仕事を始め、
自立したくて、
仕事一筋でした。
彼との時間を大切に育んだというより、
「この人なら、これからも私の仕事の邪魔にならないかも。」
そんな気持ちもあって、
29歳で結婚しました。
何も言わない。
自分の意思を口に出さない。
そんな彼を、
私は優しい人だと思っていました。
でも、
何も言わなくても、
一緒に生活をしていれば、
行動から見えてくるものが
たくさんあります。
仕事への価値観。
友達との付き合い方。
家族との関係。
子どもへの接し方。
私は仕事を頑張れば頑張るほど、
世界が広がっていくと同時に、
二人が見ている未来は、
少しずつ違うものになっていきました。

起業した私に、
公務員だった彼はよく言いました。
「俺はもう天が決まってる。
だから、訓子が頑張って。
俺はついていく。」
最初は、
「オッケー。頑張るね。」
そう思っていました。
そして実際、
公務員という安定に
救われたこともたくさんあります。
私が仕事に挑戦できたのも、
彼の安定した収入があったからこそ、
安心して進めた部分もありました。
だから、
公務員が悪いわけでもない。
彼が悪いわけでもない。
あの頃の私にとっては、
その安定が必要だったのだと思います。
でも、
会社が大きくなり、
抱える責任や負担が増えていく中で、
いつしか、
「私は、母親として子どもを背負って、
経営者としてスタッフを背負って、
この人の人生まで背負うの?」
そんな違和感に変わっていきました。
「俺は公務員だから。」
それも彼の口癖でした。
そのたびに、
私は彼自身ではなく、
「安定」と結婚したつもりだったのかな。
そんなことを思うようになりました。
公務員は安定している代わりに、
規制も多い。
それを私もすべて受け入れて暮らすことが、
いい妻なのか。
できる女なのか。
そう思うようになりました。
次第に会話は減り、
お互いの嫌なところばかりが目につき、
罵り合うようになりました。
それでも外では、
何事もないように振る舞う仮面夫婦。

そんな時、
私に好きな人ができました。
離婚したいと何百回伝えても、
返事はいつも、
「嫌。」
家庭内別居が始まり、
その後、彼にも彼女ができました。
もう夫婦としては、
とっくに終わっていたのだと思います。
なぜ一緒に暮らすのか。
なぜ離婚したくないのか。
何度も問いかけながら、
そんな生活が2年ほど続いた頃、
彼が飲酒運転をして、
3か月の謹慎処分になりました。
このままでは、
私が壊れてしまう。
そう思い、
弁護士に相談して離婚しました。
そのさらに1か月後、
彼はまた飲酒運転で捕まり、
公務員を辞めることになりました。
なぜ、
こんな形になるまで
離婚できなかったんだろう。
私は何度も自分を責めました。
彼を利用したのかな。
彼をダメにしたのは、
私なのかな。
何度も何度も、
自分を責めました。
アルコール依存症だと分かった時も、
周りからは、
「こんな時に離婚するなんて冷たい。」
「子どもがかわいそう。」
「女が外で働きすぎた結果やろ。」
そんな言葉も言われました。
19歳から、
自立したい一心で頑張ってきた私は、
何だったんだろう。
自立すれば幸せになれる。
お金の苦労はしたくない。
惨めな思いはしたくないし、
子どもたちにもさせたくない。
そう思って、
ただ必死に頑張ってきました。
でも、
頑張れば頑張るほど、
二人が見ている未来は、
少しずつ違うものになっていきました。
そして私は、
男性としても、
一人の人としても、
彼を尊敬できなくなっていきました。
どうしてこうなったんだろう。
何度考えても、
当時の私には分かりませんでした。
でも最後は、
体が拒否しました。
近寄られるだけで、
過呼吸になるほどでした。
その時、初めて、
私はもう限界なんだと分かりました。
頑張らなければ、
こんなことにはならなかったのかな。
頑張り方を間違えたのかな。
何度も何度も考えました。

離婚して、もうすぐ8年。
今でも、
あの頃を思い出すことがあります。
離婚って、
本人にとっても、
相手にとっても、
ものすごく苦しいものです。
誰も傷つけず、
誰も悲しませず、
離婚できる夫婦なんて、
いないと思います。
離婚したからといって、
すべてが終わるわけではありません。
苦しさも後悔も、
しばらくは一緒に抱えて
生きていくことになります。
それでも私は、
少しずつ前へ進んできました。
今でも、
「離婚したいです。」
というコメントやメッセージをいただきます。
離婚したくてもできない理由は、
本当に人それぞれです。
子どもに嫌われるのが怖い。
一人で生活していけるか不安。
お金が心配。
世間の目が気になる。
親を悲しませたくない。
年齢的に、もう遅いと思ってしまう。
一人になるのが怖い。
「離婚した人」と見られたくない。
相手に申し訳ない。
「ここまで頑張ってきたのに。」
そう思ってしまう。
「もしかしたら私が悪いのかもしれない。」
そうやって、
自分を責めてしまう。
私も、
全部考えました。
だから、
その気持ちは痛いほど分かります。
でも、
私が最後に離婚を決めた時は、
「私は私の人生を生きたい。」
そんな綺麗な言葉ではありませんでした。
ただ、
もう無理。
もう限界。
そう心の底から思ったからです。

だからこそ、
今思うことがあります。
離婚しているから、
ダメな人。
結婚を続けているから、
いい人。
結婚したことがないから、
人の気持ちが分からない人。
そんなことは、
何もないと思っています。
離婚して8年。
50歳になった今、
人生後半は、
離婚したか。
結婚しているか。
そんな肩書きよりも、
今、どんな在り方で生きているのか。
自分の気持ちに嘘をつかず、
自分の人生を、
自分で生きようとしているのか。
私は、
そこが一番大切だと思っています。
離婚したいのに、
怖くて動けない。
苦しいのに、
「私さえ我慢すれば。」
そう思いながら過ごした時間が、
私にとっては、
一番苦しかった。
自分の気持ちに蓋をして、
本当の自分を
見ないようにしていたからです。
だから、
もし今、
同じように苦しんでいる人がいるなら伝えたい。
あなたは幸せになっていい。
人生は、
何歳からでも選び直していい。
それは、
離婚を勧めたいからではありません。
自分の気持ちをごまかしたまま、
自分の人生を終わらせてほしくないからです。
「私さえ我慢すれば。」
という昭和女の呪いから、
少しずつ抜け出せますように。
この文章が、
誰か一人の、
「私は本当は、どう生きたいんだろう。」
そう考える、
小さなきっかけになれたら嬉しいです。
西本訓子